木材を活用する専門家たち
山からの声②
東京じゅうに木を広めよう!
東京を自由に木に変えよう!
東京都あきる野市で製材業を営む沖倉喜彦氏。原木市場で仕入れた丸太を、無駄なく製材し「木に第二の人生を与える」ことを生業にしている。確かな知識と経験を持つ氏の元には、様々な依頼がやってくる。さらに、より多くの人に東京の木 多摩産材を使ってもらうため、新しいブランドを立ち上げた沖倉氏にお話を伺った。
有限会社沖倉製材所 代表取締役
(一級建築士)
沖倉 喜彦Yoshihiko Okikura
1961年生まれ。東京都出身。日本大学生産工学部建築工学科卒。大学卒業後、叔父の設計事務所に入社。4年間建築・設計について学び、一級建築士の資格を取得。1987年、家業の有限会社沖倉製材所に入社。1993年、父の逝去に伴い代表取締役に就任。東京の森を守り、東京の木 多摩産材を世に出すことに人生をかけている。多摩産材認証協議会監事、秋川木材協同組合代表理事、一般社団法人TOKYO WOOD普及協会理事長。
コロナ禍による製材業界への影響
当社は東京のあきる野市を拠点に、地元の山の木を製材する工場として、1950(昭和25)年に創業しました。炭焼きの家に生まれた父・沖倉喜代治は、幼い頃から製材の仕事を志し、山仕事を足がかりに強い意志のもと、周囲の方々の協力を頂いて、製材所を創業したのです。
以来、地域の材を活かし、地元に根ざしたものづくりを継続して参りました。90年代後半からは、多摩産材に新たな付加価値を見出(みいだ)し、多摩産材を一本でも多く世に送り出すことを使命として、製材業に取り組んでいます。
新型コロナウィルス感染拡大の影響は、この業界にも波及しました。それまでは大手ベッドメーカーからの受注で、定期的に有名ホテルグループのベッドの木枠を納めていたのですが、全く注文がなくなってしまいました。捨て看板の材料なども作っていましたが、これも全く受注がありません。
ただ、なくなるものもあれば、新たに生まれるものもあります。これまで以上にホームページやSNSの活用に力を入れ、当社の志をより多くの方々に知って頂く努力を地道に続けてきたことで、新規の受注が3割くらい増え、売上に貢献しています。
多摩産材を一本でも多く
世に送り出すことを使命として、
製材業に取り組んでいます
増えてきている内装や外構の受注
「木造で住宅を作る」ということが、木にとって一番適していることだと思っていますが、それ以外にも木材の使えるところとして、内装や外構関係の受注も増えてきていますね。
最近、都内の個人宅を改築して、カフェスペースを作る案件があって、スペースを囲むウッドフェンスに、ウチの多摩産材を提供しました。施主さんが「せっかく東京で作るのだから、東京の木がいい」ということで、ウチを訪ねてきてくれたんです。その方も、ホームページから来てくれたのですが、こういう木そのものが活かせる仕事というのが本当にありがたいですね。
他にも近所で、ウッドデッキをご自分で作ってらっしゃる方に、材料の提供を頼まれたりもします。ウッドデッキの注文は月に2~3件は来ますね。スギで作る方もいれば、ヒノキで作る方もいて、最近はヒノキが多くなってきたという印象です。
ウチは多摩産材を使った地産地消を進めていますが、最近は東京以外からの話も来ます。2年前に東京ビッグサイトの展示会に出展したときに、岐阜県の篠田株式会社さんの方がウチのブースに来て、多摩産材を使いたいというお話を頂きました。それからお付き合いさせて頂いて、ウッドフェンス「安ら木(やすらぎ)」という外構材を納めています。先日も、墨田区の保育園で防音壁に「安ら木」を使うというので、多摩産材のスギで製作しました。この保育園だけで、50台以上になりましたね。
知識や技術が必要な特殊な製材の依頼
ウチは通常の製材以外に、持ち込みの丸太の製材も請けているので、特殊な話がたびたび来ます。何年か前に、大学が奥多摩に所有している演習林で、間伐した木材でひな壇を作る、という話がありました。6トントラックで70台分くらいあったので、製材に半年くらいかかりましたね。持ち込みの丸太ではおそらく最大量です。学生さんたちも工場見学に来てくれました。
ホームページから来た話では、ミャンマー・チークを30年持っている人から製材して欲しいという依頼もありました。ものすごく硬くてのこぎりの刃を2本駄目にしてしまい、新しい刃を調達し、丸太を蒸気で1週間加湿してようやく切れました。切った後ものこぎりの刃にヤニが付いてしまい、その処理も含めて本当に大変な仕事でしたね。
5年ほど前に大手建設会社がマンションを作る際、江戸時代からあった森を伐って大問題になったことがありました。その木が持ち込まれて、イチョウでマンションの全戸350世帯分のまな板を製材したり、エントランスのモニュメント用の木を製材したり、周囲の遊歩道のチップや、公園のベンチ、近隣保育園の積み木など、たくさんのものを作りました。他に請けてくれるところがないといって、ウチに話が来たんですが、2年ほどかかりました。
普通の製材はどこの製材所でも出来ますが、特殊なものや、知識や技術が必要な仕事としてウチに話が来るのは、本当にありがたいことです。
多摩産材を活用した新ブランド「東京十二木(とうきょうじゅうにぼく)」
2019(令和元)年から取り組んでいましたが、当社の新たなブランドとして「東京十二木」を立ち上げました。多摩産材といわれる木は基本的にスギ、ヒノキがメインですが、実はいくつも希少な種類の木があるんです。そのうち、12の樹種に1月から12月までの「誕生木(たんじょうぼく)」を設定しました。
当初は浅草の老舗の箸屋さんとのコラボレーションで「誕生月には誕生木で作った箸を」という話で始まったのですが、コロナ禍で浅草の観光客が減ってしまい、また発表の場も失われてしまいました。そこで「箸から家まで」とコンセプトを広げたのです。部屋の内装、机やベッドなど、木を使うところはたくさんあります。最近、「東京十二木」で作られた家の1棟目が完成しました。今は、2棟目に取り掛かっているところです。
「東京十二木」を命名したのは、ウチのデザインなどをやってくれている方たちですが、読み方を変えると「東京じゅうに木(き)」という言葉になります。つまり「東京中に木を広めよう!」という意味です。もうひとつ「東京じゆうに木(き)」と読み方を変えて、「東京を自由に木に変えよう!」という想いも込められています。素晴らしいネーミングだなと思って、商標登録も済ませました。
多摩産材をもっと使ってもらいたくて、公共建築の入札にも参加していますが、どうしても価格競争に飲み込まれて、木材価格が安くなってしまいます。そこで、多摩産材の新たな活動を一生懸命模索して、こういう「東京十二木」の取り組みを始めました。多摩産材の裾野を広げていく、木材の使える範囲を広げていってあげるのが、我々の役目だと思っています。