文字サイズ

木材を活用する専門家たち

特集10

山からの声

山からの声:イメージ

多摩産材を使うことで国産木材の自給率を高める
まずは自分たちの周りの山の資源を活かすことが最優先

東京都あきる野市で製材業を営む中嶋博幸氏。多摩産材100%の製材所として中嶋材木店を経営するほか、秋川木材協同組合理事、TOKYOWOOD普及協会理事長など、多摩産材を普及するために様々な活動をしています。本特集では、活動の原点や、取り組みの一例、ウッドショックの影響から、これからの木材業界まで、様々なお話を伺いました。

中嶋 博幸:イメージ1

有限会社中嶋材木店 代表取締役

中嶋 博幸Hiroyuki Nakajima

昭和41年生まれ。高校卒業後、家業である中嶋材木店を継承。代表取締役に就任。中嶋材木店は東京都内で数少ないJAS 製材工場の認定を受けている。多摩産材認証材を用いて公共施設や商業施設など、大型物件から戸建てや店舗など小規模物件の内装・外装・什器・構造・羽柄・下地材など多様なニーズに応えている。秋川木材協同組合理事。一般財団法人TOKYO WOOD普及協会理事長。あきる野市議会議長。趣味は地元、秋川での鮎釣り。

中嶋材木店 創業のいきさつ

この地域(東京・あきる野市)は昔から生糸の産地で、私の父と祖父が撚糸業を営んでいました。

蚕から絹糸をとっていたのですが、戦後になって繊維も化学繊維にかわり、あまり産業として成り立たなくなりました。高度成長期に建築物がたくさん建てられて、木材の消費が旺盛だろうということで、材木業に業種転換しました。おそらく昭和30年頃だろうと思います。

その頃は、林業と製材業があまり分業化されておらず、製材屋さんも自分で山を買って、伐り出してきて、製材して、挽いたものを製品市場に出すというようなことをしていたようです。

高度成長期にあまりにも需要が旺盛で、日本の木だけではまだ若く、とても足りないということで、外材が自由化された昭和40年代前半に外材製材を始めました。それからずっと何十年も外材製材が続いて、30数年前に僕が入社したときには100%外材製材の会社でした。

当時はおもに、米材やカナダ材の米マツとか米ヒバを使っていましたが、初めは太い木を挽いてましたが、毎年毎年細くなっていったのです。米材も、いい天然林はかなり資源が枯渇してきてるな、ということが手にとるように分かりました。特に太い米材丸太は希少価値が高くなっていって、値段がどんどん上がっていったのです。

一方、国産木材の値段は下がっていってるということと、自分の周りを見渡すと、山の木も育ってきているという状況でした。

これからは、地元の木を活かすことが、僕らの生きていく術なんだろう、ということで、私の代で地場産材に切り替えっていって、今はまた、元のように地場産材100%の製材工場になりました。

中嶋材木店で行われている多摩産材の品質検査:イメージ

外材製材工場から多摩産材の製材工場へ

国産木材に切り替えた時期は、まだ多摩産材の名称が一般化する前だったような気がします。

ちょうど切り替え始めた頃から、多摩産材という名前も使われ始めました。私たちも、多摩産材をもっと世のなかに訴えていこうという取り組みを始め、若手の製材屋さん、二代目たちで作っていた「二の木会」という会で、アンテナショップを作ったり、PR 活動をやったりしました。

そういう活動を続けているうちに、世のなかも国産木材、地場産材を活かしていこうという動きも出始めたような感じがします。特に石原都知事による花粉対策事業がその頃に始まって、そのあと林野庁などが国策として木材の自給率を20数%から50%にしましょうと目標を掲げました。まずは公共施設を率先して行いましょうということで、公共建築物木材利用促進法などが施行されたりしました。そんなことがどんどん追い風になった気がしています。

用途に見合った木を選び、用途に応じた製材をする

東急池上線戸越銀座駅:イメージ

多摩産材を使う意義

「なぜ多摩産材なのか?」、多摩産材のアピールポイントなどについてはよく聞かれるんですけれど、意外と回答が難しいんですよね。多摩産材が国産木材のなかで、例えば他県産材と比較して、ずば抜けて優れてるっていうこともありませんし、逆に悪いということもありません。私は、日本国内の平均的な木材だと思っています。

ただ、やはりそのなかでも、私たち製材屋が用途に見合った木を選んで、その用途に応じた木を製材するのが役目だと思っています。

多摩産材を使う一番のメリットは、国産木材の自給率を高めることに寄与することだと思っています。私どもは小さな会社なのでそんなに大きいことをすぐにはできませんけれど、まずは自分たちの周りの山の資源を活かす、ということが最優先のような気がします。せっかく東京に木があって、その周りに住んでるのですから、東京都か首都圏にいる方も、まずは身近な地元に育っている森林資源を活かしていきましょう、ということが、多摩産材を使う一番の利点じゃないかというように思います。

中嶋材木店の主要取引先

うちの取引先をおおまかにいいますと、半分は公共建築物関連とか、商業施設とか、都会での建築物に関する内装材や造作材です。半分が、地場の家造りをされている工務店さん向けになります。

東京というのは、日本全国から木材が集中して流通する大消費地でもあるので、いろんな木材がたくさん集まってくる地域でもあります。そのなかでも地場の木を活かしていこうとこだわった工務店さんたちがいらっしゃるので、そういう人たちに、私たちは木材を提供しています。

特に商業施設、公共施設とかの場合ですと都会に使われるのですが、なかなか都会のなかに木造建築物って多くありません。だいたい鉄筋コンクリート、鉄骨造などのビル的な建物が多いので、主に内装材などに使って頂いております。内装材も内装制限などがあって、燃えやすい建材ではいけませんので、木をそのままでは使えません。不燃の加工などを施してメーカーさんに出荷するケースが増えていますね。

地元の人たちと、非常にいい交流ができた

戸越銀座駅のリニューアル

東急電鉄の戸越銀座駅の建て替えに当社の木材を使ってもらいました。あのときは取引している建材メーカーさんが戸越銀座駅の駅舎をリニューアルする際の構造設計に関わっていて、そこで戸越銀座も東京なので、東京の木を使えたらいいな、ということで声がかかりました。

「こういうことができますか?」「できますよ」ということで話が始まったのです。戸越銀座には日本でも有数の「戸越銀座商店街」があって、駅と地元の人たちが密着した交流をされているんですよね。駅舎の建て替えの話が出たときに地元の人たちから、以前の木造の駅舎に大変愛着があるため、木造で建て替えができないか、という提案があったらしいのです。設計チームに相談があって、構造が専門の先生にも相談して、こういう形なら可能ということで設計ができて、木造の駅舎になったと聞いています。

東急さんのほうでも、地元の人たちが愛着を持てる駅にしたいという思いが強くて、作るときにも地元の人たちに声をかけてバスツアーを行っています。バス何台にもに分けて、数回にわたって、こちらの林業や製材現場を見学してもらったり、木工教室や植林もしてもらいました。地元の駅に愛着を持って頂くために、どういう木で、どういう人たちが関わって、駅に使う木を作っているかを見て頂きました。

完成した駅の竣工式には、私たちやそのときに関わった林業の人たちも参加しました。戸越銀座に行って、ちょうどクリスマス近くだったものですから、クリスマスリースづくりのワークショップをやったりして、地元の人たちと非常にいい交流ができました。大変思い出に残る、いい駅舎ができたと思っています。

秋川木材協同組合の活動

私自身は、秋川木材協同組合でも活動しております。この組合は、あきる野市、日の出町、檜原村など、秋川渓谷沿いで木材を扱っている木材屋さん、製材屋さんの集まりです。多摩川の支流の秋川を、秋川流域とか秋川地区と呼んでいることからその名があります。

昔は、100社くらいあったと言われていますが、今はもう15業者になってしまいました。東京都のなかで、地場の木材組合が軒並み壊滅状態のなかで、唯一残っている地場の木材組合という自負はあります。昔は労務的なことをやるためだけの同業者組合だったんですけど、こんな小さな会社が互いにライバル視して張り合ってもしかたないですから、手を取り合って協力して、結束していろんなことをやっていますね。

見学バスツアーとか、今は色んなところでやっていますけれども、最初は「そんなことやっても誰も来ないんじゃないの?」「製材してるところを見ても面白くもなんともないだろ」ってみんな言ってたんですけど、東京都の広報に載せてもらったら、びっくりするくらい人が来たりしました。

消費者の方って、そういうものを見たり、情報を欲しがってることが分かったので、それからは組合での活動が活発化しました。

ユーザーに木を知ってもらう見学バスツアーイベント:イメージ

活動の原点だった「二の木会」

私たちは、かつて「二の木会」で活動していました。今はもうないんですけど、秋川木材協同組合に私たちが入った頃は、まだ父親の世代が会社の経営をしていて、私たちはその二代目や三代目なので、いわゆる青年部のようなものですね。木は、一番元の木を「元木」と呼び、二番目の木を「二の木」という言い方をするので、そこから「二の木会」と名付けました。

今、秋川木材協同組合の理事長をしている沖倉さんたちと、まだ20~30代で若かった頃に作りました。いい意味のライバルで、一緒になってPRして、仕事をとっていこうという会でした。今はもう、私たち自身が若手ではなくなったので、二の木会はなくなりましたが、あれから数十年たった今でも毎月1~2回集まって、多摩産材の振興について話し合う会議を続けています。

TOKYO WOOD 普及協会のモデルハウス(東京都小金井市):イメージ

川上から川下までつながった TOKYO WOOD 普及協会

TOKYO WOOD 普及協会というのは、製材所の集まりに加えて、林業家さん、加工するプレカット屋さん、地場の木を使いたいという工務店さん、建築士さん、川上から川下までがつながって、一緒にやっていこうという団体です。

通常は、出口のところ、消費者と直接やりとりする工務店さんの立場が一番強くて、その人の下請け、下職みたいな関係になりがちです。それに対してTOKYO WOOD 普及協会はみんな対等な立場で協力して仕事を進めよう、消費者に理解されるように向き合っていこうとやっています。フラットな立場というのが最大の特徴ですね。おかげさまで、着実に着工数も増えています。

工務店さんによる木材の宣伝って、意外と難しいんですよね。木には呼吸したりする長所もありながら、割れたり縮んだりする欠点もあります。工務店さんがそういうことを説明しても、言い訳のように聞こえて、なかなか理解してもらえませんが、我々が木の性質について説明すると、メリット、デメリットについて理解してもらいやすかったりするのです。

木の家を建てることに、ストーリーを持って取り組んでいると、そういうことにより関心の高い、こだわりの強いお客さんが来てくれるので、比較的付加価値の高い家を作ることができます。

安ければこだわりはないというお客さんから、グレードの高い家を求めるお客さんに客層もシフトしていくので、工務店さんの経営もよくなっていきますし、我々も適正価格で材木を買って頂けます。関わる人々にとってもよい循環で、結果的に消費者に満足のいく家を提供できるという、よいつながりができていると思っています。

みんなでやった活動が、いろんなことにつながった

団体としての活動のメリット

木材産業は斜陽産業化していたので、なかなか設備投資ができずにいて、私たちが二の木会で活動を始めた当初は、どこの会社も木材乾燥機すら持っていない状態でした。当時は、国や東京都さんが一企業に支援することができませんでしたが、団体には支援してくれたので、組合として協同で支援してもらって、木材乾燥機を導入しました。

そこで使い方や、利便性、必要性を感じて、そのあとに個々の会社で設備投資していくことにもつながり、設備投資意欲を向上させる一因にもなりました。

またグレーディング・マシンという、木の強度や含水率を計測する機械も秋川木材協同組合として協同で導入しました。一社だとなかなか負担が大きい機械ですが、複数社で所有すると、費用負担や利用頻度がちょうどよかったのです。

団体としてのそういった活動が、今のTOKYOWOOD 普及協会のメンバーの工務店さんからの信頼を得て、新しい取引先につながった、ということもあります。ですから、こうした組合で、みんなで一緒にやってきた活動が、一つ一つ、いろんなことにつながっていった、という気がしています。

ウッドショックの影響

最近のウッドショックについては、その立ち位置によって見方は様々だと思います。

国産木材は安くて、林業が成り立たないと言われ続けています。山主さんが木を伐って出しても、国や地方の支援や補助金がなければ、植えたり管理したりするだけの費用が出ないというのが現実です。皆さん、本当は木の値段がもっと上がってほしいと思っているのです。

だから、ウッドショックの影響で、木材の値段が一時的にも上がったことは、山のほうにとっては悪いことではない、という気がしています。

ただ、急激な木材価格の値上がりというのは、混乱を招きます。外材が今までのようにコンスタンスに入ってこなくなったというのが、ウッドショックの始まりで、木材が足りないということで、今まで外材を使っていたところを国産木材に切り替えて、国産木材でまかなおうということで、需要が一斉に国産木材のほうに向きました。

使って頂けるのはありがたいんですけど、元々そんなに余力を持った生産体制ではありません。山で木を伐る人も、製材する私たちも、そんなに余剰設備や余剰人員も持っていません。急に需要が増えたからといって増産できるものでもありませんし、今値段が上がったけれど、これももしかしたら一過性のものかもしれない、という不安もあります。下手に設備投資して、人を入れても1~2年後に元に戻ってしまう可能性もあります。けっこう皆さん、様子をうかがっているのも現実です。

原木の原価が上がったから、それをそのまま上乗せして売れるという業態の人たちもいるので、そういう人たちにとってはいいのですが、私たちはどちらかというと川下、消費者に近いので、なかなか値上げが難しいんです。私たちもそうですが、工務店さんも値上げ分をそんなにお客さんに転嫁できないですからね。利益を減らして、みんなが苦しんでいる状況でもあります。

ただこれを機に、新しいやり方とか、今まで国産木材を使っていなかったところへ新しい需要が生まれる、いいチャンスだと思うので、そういうものにチャレンジしようとしているところです。

改めて分かったのは、今までの日本は裕福な経済大国で、お金さえ払えば世界中から何でも買えた時代が続いてきましたが、もうそういう時代じゃないということです。ちょっと世界の社会情勢が変わると、すぐに品物が滞ったりします。こういう状況がいつ起きてもおかしくない世のなかです。そういうことにあまり振り回されずに、ある程度身近で安定してやっていこう、今までよりちょっと高いかもしれないけど、それならもうそういう値段なんだっていうようななかで、地場のものを活用できるような流通の仕組みにしていこうと、今、取り組み始めたところです。

ウッドショックの影響:イメージ

木を使うことの社会的な貢献

この「木を使う」「森の資源を活かす」ということが、一昔前だと「木をたくさん使うこと=環境破壊」みたいに思われていた時期もありました。

木をたくさん使うことが低炭素化に貢献できることも認知されてきていますし、近場の資源を活用していけば、流通に無駄なエネルギーも使わなくてすみます。

そういったことに関心を持つ人が増えたと思います。社会は、そういった方向に向かっているので、そういう面では、私たちは大いに貢献できると思っています。使うことによって、SDGs に貢献できる産業であるというのは、非常に強みだと思っているので、そういうことも消費者にアピールしながら、需要を高めて安定させていきたいです。今まで斜陽産業化していた、林業や木材産業なので、ぜひ若い人たちが生き生きと働ける産業にしていきたいと願っています。

木を使うことの社会的な貢献:イメージ

中嶋材木店のこれから

中嶋材木店の現在の取引量は、公共と民間の割合が半々です。長期的な目で見ると、どちらも少しずつ、着実に増えています。材木の購入量を毎年測っていますが、徐々に増えていっていますし、問い合わせも多いです。

問い合わせには実現できるもの、できないものとあります。大きすぎる話もきます。ものすごい大きなビルのなかで「ふんだんに使いたいけど短納期でできますか?」と聞かれて、「とても多摩産材だけでは無理ですよ」と答えたり。

でも、そういう話が出てくるようになったのはいいことかな、と思っています。東京都からの仕様も、全部が多摩産材だけではなくても、「多摩産材の割合を30%以上は使ってほしい」というように変わってきています。そういう使い方をしていかないと、国産木材全体の伸びしろもなくなってしまいます。以前は、他県産と一緒に使うのを嫌っていましたが、今は一緒に使っていかないと、大きな案件ができませんから。

身の丈に合ったペースではありますが、今までもそれなりに設備投資をしてきたつもりです。生産性をさらに向上させることで、そして何より次世代の人たちが働きやすい環境を創造していきたいと考えています。

幸いにも大学を卒業する息子が、事業継承を決心してくれました。もちろん需要の創出も努力しながらにはなりますが、製材量の増加に伴う生産ラインの増強と省力化、乾燥機の増設、大型モルダーの導入、自然エネルギーを活用して生産時の化石燃料の削減化など、出せばきりがないですけれど、次世代が胸を張って継承していけるような新工場づくりも目標に掲げております。

都会に近い地の利を活かし、また東京だからこそこだわりを持った家づくりをする方も多くいらっしゃる地域ですので、単に消費量を求めるのではなく、品質と付加価値のある木材づくりを追求していきたいと思っています。

ただ、私が不安なのは、ウッドショックで国産木材の需要が増え、多摩産材も需要が増えるのはいいのですが、丸太の出材も急に増やせるわけではありません。山の整備、林業人材の育成なども並行して進めていかないと、安定した産業の構築にはならないと思っています。

どこか一部だけが伸びても、全体がいっしょになって伸びていかないと安定供給はできませんから、力を合わせて共存共栄していきたいです。

こだわりを持ったお客さんに、多摩産材を提供

中嶋 博幸:イメージ2