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とうきょうの木のすゝめ

幻の四谷丸太に幻の林業を見る

「四谷丸太」、あるいは「高井戸丸太」を知っているだろうか。その生産地を指して四谷林業という言い方もする。江戸時代中期に誕生して明治・大正の時代まで栄えた林業なのである。だが今では完全に消えてしまった。十分な記録が残っていないため、詳しい姿も伝わっていない。現在の四谷や高井戸の住民でも、かつてその地が林業地だったことを知る人は少ないだろう。しかし、大都市近郊にどんな林業が存在したのだろうか。

私が、この四谷丸太に興味を持ったのは、単に幻の林業だというからではない。その経営や生産した丸太の価値が特殊だったからである。もしかして、四谷丸太を通じて新しい林業を描けるのではないか、と思えたのだ。

四谷丸太は、まずスギ材。真っ直ぐで節がなく真円の丸太だったという。使い道としては、細いうちは河舟の舟竿や旗竿になったが、直径10センチ以上となると、建築現場の足場丸太にも使われた。さらに表面を磨き、艶を出したら住宅の化粧桁のほか磨き丸太になった。そして床の間などの床柱として重宝される。美しく家を飾る意匠材だから、高級木材として人気を呼んでいた。

磨き丸太と言えば、京都の北山や奈良の吉野で生産される数寄屋建築に欠かせない木肌の美しい銘木として知られる。それと同様のものが東京にもあったのである。実際、明治時代になって東海道に鉄道が敷かれると、四谷丸太を京都に出荷した話も伝わる。そして北山の磨き丸太に化けて販売されていたらしい。今なら産地偽装だが。

1820年に記された『武蔵名所図会』には、高井戸丸太の説明として「椙(すぎ)の丸太なり。細く長きこと竹の如し。上品にて吉野丸太と同じ」とある。また天保年間(1831~45年)の文書に「江戸四谷丸太とて四谷新宿より壱里ほど左右の在不毛乃平地によく生立、柱位なりたるを伐りて江戸へ出し、皮をはぎてみがけば吉野丸太の磨きて床の間の柱に用る位に紛ふ様なる木肌なり」と記されている。吉野と比べられるような「床柱・桁丸太」が生産されていたことがわかる。

四谷丸太になるスギ林は、四谷周辺から高井戸の周辺にかけてあったようだ。どうやら甲州街道や青梅街道、五日市街道沿いに生産地が点在していたらしい。現在の新宿区から杉並区にかけての地域だが、江戸の町の西方から運ばれてきて、四谷の大木戸を通ったから四谷の名が冠されたという説もある。

スギ林があった地域は、現在の町の風景を思い浮かべたらわかるとおり、なだらかな地形をしている。一般に林業は奥山の急斜面で行うものと思いがちだが、人里近くの平地で行う林業だった。また1カ所1~2ヘクタールという小規模な林地だったらしい。

江戸時代の中期に植林が始まって生産していたというが、植林本数はヘクタール当たり6000本から9000本に達した。現在の林業地の植栽本数は1500~3000本だから非常に多い。密植すると、スギは光の当たる上方に競って伸びるから真っ直ぐな幹に育つ。また頻繁に枝打ちを行うから節が出ない。間伐も弱度に何回も繰り返した。こうした細かな手間をかけることで、無節で真っ直ぐで真円状、完満の差が少ない(幹の太さがどこもあまり変わらない形状)に育てるのだ。この育林方法は、吉野や北山と同じである。

現代の林業は、規模の拡大を進めるとともに機械化して、植える本数を減らして手間はかけずにコストを抑えようという方向に進んでいる。そして細いものも張り合わせて集成材や、丸太から単板を剥き取って合板に加工する。材質よりも量を競う林業である。

四谷丸太の生産が手間隙かけられた理由の一つに、住まいの近くになだらかな土地の林地があったことが上げられる。だから頻繁に通え、また面積が狭いゆえに丁寧な育林を施せた。細い丸太だから輸送も比較的楽であったらしい。なお専業林家はいなくて、農家の副業として行うものだったという。

比較的細い状態で出荷したから、年数をかけずに育てられる。現代ではスギが使えるようになるまでに最低40年、通常なら60年以上かかるが、四谷丸太は10年前後から出荷されていた。しかも、さまざまな高価格商品に変身させた点は見事だ。数寄屋建築という当時人気を呼んだデザインの建築物に適した素材を生み出したからこそ、高値を期待できたのだろう。ある意味、もっとも進化した林業地であり木材製品だった。私は、生産地が大都市近郊だから、消費者のニーズをよく捉えられたのだろうと想像している。

そんな四谷林業、そして四谷丸太も、明治に入って急速に姿を消す。その原因は、十分に解明していないが、明治30年代にスギの赤枯れ病が蔓延したことが大きいという。また東京の人口が増加し市街も拡大する中で、木材生産より農業の方が儲かるようになったこと、さらに住宅地の需要も増え地価が高騰したことも関係しているのだろう。平坦な土地ゆえに用途転換がしやすかったのだ。だから大正に入ると姿を消した。

この幻の林業に学ぶことはないだろうか。もちろん、現在の新宿区や杉並区で林業を復活させろというのではない。スギを植えたら花粉症が増えると嫌われるのがオチだ。しかし都市近郊で手入れを重視し、デザインと品質にこだわって製品化すれば、人気を呼んで高値で売れる木材が生み出せるかもしれない。林業がオシャレで高付加価値なビジネスに変身する様を想像するのも楽しいではないか。

森林ジャーナリスト田中淳夫