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とうきょうの木のすゝめ

街路樹の木の命を木工品に移す

近頃、街にも大木が増えた、と感じる。幹の直径が80センチ、1メートルを越えるものがそこかしこに見られる。街路樹のほか、公園から個人の庭まで珍しくなくなった。戦後、街づくりの一環で植えられた木が、大きく育ったのだろう。

もちろん、それらの木々が元気に育ち、周辺にも悪影響が出ていないのなら結構だが、残念ながらそうではない木も多数ある。

あまり高く伸び、枝が周囲に広がると、日当たりや景観の悪化、あるいは電線との接触などが問題になる。また寿命がきた、病害虫に侵されているなどの理由で樹勢が弱まり、いつ枯れて倒れるかわからない。枝が折れて落下する恐れのある木も増えている。街路樹の場合は、根っこの広がるスペースがなくなり根あがりを起こしていることもある。さらに落葉が大量すぎて問題になるほか、台風などで倒れたら周辺の建物を壊す、もしかしたら人身事故につながる……そんな心配もされる。加えて、その地域で再開発計画が生じて木が邪魔になるなど、さまざまな理由で伐らざるを得なくなる。

そうした木の伐採には、惜しむ声や反対運動が起きやすい。しかし、解決するのは簡単ではない。街路樹の場合、植樹升を広げることは無理だし、事故発生時の責任も問われる。民間の土地の場合なら、所有権や相続などでも樹木の維持は問題になる。

伐られた街路樹や公園木、庭木などは、たいていゴミとして処理される。せいぜいチップにされて製紙かバイオマス燃料にするぐらいしか利用法はないだろう。

しかし、もったいない。何十年、ときに何百年も生きた木をゴミ扱いするのは残念すぎる。木によっては思い出を持っている人もいるだろう。

ならば、街路樹などで伐られる太い広葉樹を利用して家具などの木工品を製造し、新たな価値を作り出せないか。実は、木工材料として十分に使える木も少なくないのだ。上手く再利用できれば循環型社会の構築にも貢献するだろう。そう考えて動き出した建築家や木工家、家具職人が何人も現れ始めた。

実際に街路樹や公園木を利用した木工を行う団体の一つに、一般社団法人街の木ものづくりネットワークがある。

代表の湧口善之さんは、建築家であり木工家として、家具づくりも行う。その素材として目をつけたのが、処分される街路樹や庭木だったそうだ。最初はたまたま依頼されて伐られた庭木を、形を変えて手元に残したいという要望に応えたそうだ。その経験から周りを見回すと、街路樹や庭木には、意外と大木も多いことに気付いた。事情あって伐られるとしても、それを活かせないかと思いついた。そこで伐採後処分される木を使ってテーブルやイス、さらにスプーンやお箸などに生まれ変わらせた。

それが評判を呼ぶようになり、今では伐採作業や製作過程などもワークショップにして、参加型のイベントにしている。みんなで木に感謝しながら運搬などを手伝うこともある。「マチモノのがっこう」を開催して、木工だけでなく樹皮を利用した染色や、木の実からのジャムづくり、さらに伐採した木から苗木をつくり植樹する活動も開催する。
「心がけているのは、無理をしないこと。全部木でつくろうとか量産しようと思うと、素材を集めることに必死になって無理やり木を伐ったり、購入しようとしたりしてしまう。それでは趣旨に反してしまいます。今ある木を上手く使うことが肝心です」

ほかにも家具会社が街路樹を引き取る事業を行っているケースもある。彼らにとって、大径木の広葉樹材はなかなか手に入れることが難しいので有り難いそうだ。材質的には、何の問題もないという。

もちろん、簡単にできるわけではない。まず伐採も、街の中にある大木となると、簡単に根元から伐って倒すわけにはいかない。周辺の建物はもちろん電線・電話線などに当たれば破壊・切断してしまう。だからクレーン車を使って伐った木を吊り上げる必要もある。とくに広葉樹は、枝が複雑に広がっていて重心がどこにあるか読みながら行わねばならないので、それを行える特殊技能を持っている人に任せるべきだ。また短く切断すると、使い道が限られてしまうので、真っ直ぐな幹をなるべく長く残したい。

さらに製材や乾燥の工程もどこでもできるわけではない。多くの製材所はスギやヒノキなど針葉樹材の製材と乾燥に特化している。広葉樹材を扱う製材所は限られているのだ。またノコギリの歯も針葉樹用と広葉樹用は違うそうだ。樹種も千差万別で材質が違うため、乾燥も難しい。しかも肝心の木は、伐採してみたら内部が腐って空洞が開いていたりするし、太くても曲がっていると使える部分は限られてしまう。

ただ、ときに奥山の天然林でも滅多にないような大木もある。それだけに都市に眠る貴重な木材資源なのである。

樹木も生き物だ。いつか枯れる。とくに街の木は根が十分に伸ばせないほか、水分や栄養面でも生育条件が悪い。とくに伐られようとする樹木は、なんらかの不都合を抱えている場合が多い。そうした樹木を上手く活かすにはきめ細やかな対応が必要となる。

一方で市民も、身近な木が伐られると聞いて感情的に反対するのではなく、諸般の事情も理解しつつ、樹木から木工品へと生命を移すという発想で臨むことも大切だろう。そんな品に触れて木の歩んだドラマを知ると、街の緑を大切にする心が育つように思う。

森林ジャーナリスト田中淳夫